朋和産業が警鐘を鳴らす!環境保全の考え方は大切だがやり方には注意

最終更新日 2024年5月14日 by carret

1.環境保全について考える

環境保全の考え方は大切ですが、やり方には注意をしなければなりません。
今の世界の環境保全の考え方については明確に間違った方向に進んでいると考えて良いかもしれないところがあります。

それは明確でない事に対して、過剰に反応して二酸化炭素だけを悪者として捉えているという事があるところです。
環境保全の考え方を悪用しているというように言っても良いかもしれません。

まず第一に二酸化炭素で環境問題が解決されるという保証もデータもないにも関わらずにやりないよりはましぐらいの考え方でこの動きが出ているという事が問題で、それでは全く意味をなさないという事も考えられるということになります。

何しろこの動きでは二酸化炭素の排出量だけを検討しているので、それで環境を守る事が出来るというような裏付けは全くありません。
そのような事が環境が修復されるというような事は無いと考えた方が正しいかもしれないぐらいです。

環境

基本的に様々な事が重なって事象が起きているというような時に、その中の何か一つを変えてしまうというような事は危険極まりない行為という他ありません。そのような事が出来るのは、全ての事象を解明した時からということになるはずで、よくわからないけどこれかなでやっていい事ではありません。

それかぜ世界の人に影響を及ぼすということになれば、真っ先にすべきは事態の解明であって、とりあえずやってみようで済むことでは無いという事です。
現代では排出量取引というようなものまで始まっていて、さも二酸化炭素の排出量さえ何とかすればそれで環境保全が出来てしまうかのような事になっているのは明確に行き過ぎも良いところという他ありません。

環境保全になるどころか地球に悪影響を及ぼすことすら考えられる可能性もあるわけで、そのような事も分からないでおかしな対応をするというのは極めて良くないという他ありません。
何しろ排出量を制限しただけですから、排出量を売買するという環境とは全く関係ない事まで行われるようになっていては意味がないわけです。

2.今までしている事で過剰になっている事を抑える

ではどうすればいいのかという事になりますが、原因が分からない段階では、今までしている事で過剰になっている事を抑えるという事をするほかありません。
人が病気になった時にすべきは休むことであって、何か一つを無くすというような事では無いのです。

原因が分かれば、その原因について対策をするという事で無理に休む必要はありませんが、原因不明の段階で何かに絞り込んでやった方がましというような考え方でしても、意味不明どころか逆に悪い方向に自体が進むことすら考えられるという事になるわけです。

既に二酸化炭素に原因を限定している所でもう意味不明のものとなっているという事になります。

単に地球が温暖化していると考えた時に、その原因となりえるのが二酸化炭素の保温効果というものが有力視されるというだけの事で、このような事が為されているわけですが、二酸化炭素は地球上の空気に僅か数パーセントしか存在しないもので、それがそのような大きな要因となりえるのかどうかという事については、何も裏付けが出来ているというわけではありません。

単に他に理由を考える事が出来ないというだけの事で、まるで犯人扱いにしているというのが現状という事になります。

これが人類がほとんどすべての地球上の現象を解析していて、まずこれで間違いないというような状態であるのであれば、この対策も意味があるかもしれませんが、ハッキリ言えば全く地球の事が分かっていないというのが今の現状であるにも関わらずに、その浅はかな知識で原因を二酸化炭素一つの絞り込んでしまうなど、もう正気の沙汰とも思えません。

3.環境保全に取り組む朋和産業の考えは?

朋和産業曰く、やったほうがましというような考えなら、やらない方がましという事も考えられなくもありません。
病気の人に素人が適当な事をしても全く意味が無いどころか危険の方が高いという事を考えれば、今が地球の病気の状態だと考えて、それに素人が勝手な判断でこれをするという事がどれだけ危険な事なのかという事が理解できるはずです。

やらない方がましという人の意見の方が理論的ですらあるといっても良いかもしれません。
何かしなければならないという事は気持ちの部分だけ持っておいて、後は原因を究明するということに全力を注ぐほかはありません。

それが出来るまでは自粛するしかないのです。
自粛意外に何か適当な原因的なものを見つけておいて、それをすれば環境は守れるというような事を考える方が実は環境破壊をしているという事になるのかもしれません。

これは人権団体などが人権人権といってその人達の人権を守る活動をしながら自分たちは人権を無視して攻撃を他人に加えるという事と似ている所があります。

全てのことにおいてやりすぎというのはあるので、常にバランスというものを考える必要があります。
それを考えないで適当な事をしているとそのしっぺ返しは必ず来るというのは歴史が証明しています。